寮でとる物をとって外に出ると、教官が待ちくたびれたように外で待っていた。そして
教官と共に水神の杜へ向かい一息ついた。月夜は辺りを見回し、夕香はその森の中に立ち
込める瘴気に驚いていた。
「ここが神域?」
「ああ。だから不思議だといっただろう」
 その瘴気に顔を歪めながらも月夜は静かに口を開いた。
「中心部に行ってなにをすればいいのですか?」
 その問いに教官は厳しい顔をして言った。中心部にある清水を取ってこいと。あそこの
水は特別でその清水で薬草を煎じると効き方が尋常ではないそうだ。これは秘匿任務なの
だがと前置きして内容を説明した。
「薬師で困っている友人がいてな、それから依頼がきたわけだ。かくなる上は私の秘匿個
人任務なのだが時間が惜しいのでな。それに、上の連中からもこの水が欲しいといわれて
いる。ペットボトル二本あれば事が足りる。それを刑の内容にした」
 教官はかなり特別扱いされているらしく、刑の内容を自分で決められるらしい。本当は、
審査委員会というものに通されて決まるわけなのだが、この教官には普通という言葉がど
の意味でも通らないらしい。
「要は、俺達を」
「そうではない。危険度も高いからな。成功すれば昇格はありえる。上に媚び売って損す
る事はない」
 平然と言ってのけると教官は溜め息をついた。それに裏があると確信したが追及しても
出てくるような人ではない。月夜は教官から一リットルペットボトルを受け取って夕香を
伴なって杜の中に入っていった。
「水神の加護を賜りますよう」
 教官はその背中を見送りそう呟いていた。そして月夜と夕香の背中が杜の中に完全に消
えたのを見てその場に結界を張った。一週間の休暇は貰ってある。彼等が出てくるのをこ
こで待つ。危うくなったらすぐ飛んでいくつもりだ。彼は自分の教え子の中でもっとも優
秀で危なっかしい子供だ。目を離せば何をするか分からない。
 教官は深く溜め息をついて豊満な胸元から一つのロケットを取り出した。あの豪快な教
官がと言う感じの繊細な鎖につながれたロケットの中の写真には穏やかに微笑む一人の男
性と頬を寄せて笑う柔らかそうな黒い髪の整った顔立ちの稚児がいた。しばらくその写真
を見つめて目を細めて感傷に浸っていたらしい教官はロケットをまたその胸元にしまい目
を伏せた。
「無事に戻って来いよ、都軌也」
 そう言うと、教官は再び深く溜め息をついた。
 月夜達は森の中をただ直進していた。否、川を探していた。清水が湧く池があるならば
その水を逃がす為の川がある。そう言う考えだ。それもすぐ見つけ川を遡っていた。
「……なんか来る」
 夕香がポツリと呟いた。その一声で月夜は腰を落とした。あたりに警戒の網を広げ何物
かを捕縛しようとした。
「毒ムカデだ。五匹はいる」
「ムカデ?」
 夕香は小さく舌を出した。虫が苦手のようだ。ちなみにといったがそれを言えばうるさ
くのは必然だ。
「身長以上ある」
「は?」
「二メーターから五メータちょいか。滅茶苦茶気色悪い」
 冷静に呟いているとそれが出てきた。闇色の五メートルぐらいある巨大ムカデが杜の木
々を押し倒して出てきた。
「ぎゃぁぁぁ」
 硬直して叫ぶ夕香を抱きかかえ後退して月夜は即座に右腕を振った。場違いだが、莉那
がいなくてよかったと月夜は思っていた。いたらすぐに狸寝入りするだろう。それにして
も気色悪い。犬神が月夜の腕を蹴りムカデに向かっていく。決して攻撃はせずにただ混乱
を招いている。いくら大きくても虫だ。頭も悪いからすぐに自分たちの毒牙で死ぬだろう。
「見たくないなら結界張ってろ」
 あくまでも冷静を装っている月夜もそのムカデの大きさに青ざめているようだった。
「うん」
 素直に結界を張り視界を遮った。月夜の雰囲気がいきなり鋭くなった。
「……押さえ切れないな。これは」
 月夜はそう呟くと両腕を鋭く横に振った。羽織ったシャツが風を受けてはためく。月夜
の真上にはいつのまにか召喚したらしい火球が浮いていた。熱風があたりに吹き荒れパタ
パタと月夜が羽織ったシャツを揺らす。ムカデたちはただえさの匂いにひきつけられ月夜
の元に突進する。
 いきなり火球がわれて二人を覆うように落ちる。そして一時的であるが炎の結界がそこ
に現れた。何かあったと感じた夕香は結界を解いて膝をついている月夜に駆け寄った。
「月夜?」
「……平気だ」
 多少息を切らせて月夜は憔悴しきった顔でつぶやいた。平気じゃないでしょと突っ込ん
で炎の結界を見る。
「よくこんな量の炎召喚できたね?」
「いや、これは召喚したんじゃない。俺自身の」
「水性じゃないの?」
 まあそうだがと自分自身もわかってないらしく言葉を濁した。そして結界が消えた。月
夜たちを取り巻くように巨大ムカデの黒焼きが出来上がっていた。
「兄貴に渡せば喜びそうだな」
「でもどうやってもっていくつもり?」
「そうだな」
 ふと思ったが持ち運びに不便があると思い浄化をした。水は濁らずに清らな波動を月夜
に伝える。手を伸ばして水に触れた。その途端月夜の意識は消えた。
 ぐらりと月夜の体が傾いだのをみて夕香は慌てて月夜の体を引き倒した。
「ちょ、何してんのよ」
 月夜の瞳に光はなくぼんやりと虚空を見つめている。夕香は首を傾げて月夜の頬を一つ
はたいた。軽い音があたりに響いて月夜の体がかすかにゆれる。月夜は瞳に焦点がないま
ま立ち上がりゆらりと歩き始めた。
「ちょっと、どうしたの?」
 月夜の雰囲気がどこかに消えている。否、雰囲気だけが川を遡って池にたどり着いてい
る。月夜の体は何者かに操られているのだ。と、そう思ったとたん、月夜が歩を止めた。


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